再出発?!

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私の母校は農水省がまだまだ張り切っていた頃。
時の農政のリーダー、東畑四郎氏が
農林大臣である坂田道太氏とのコンビで生まれた学校です。
農政は人也の哲学が生きていた頃です。
学校長に就任した久宗氏は近代農政に真っ向反対した
反逆の農林官僚。フランス語がペラペラで、環境保全型農業の
生みの親です。近代農政を創った、東畑四郎、小倉武一氏が
尽力した学校の校長が反対した論客の官僚だった訳です。
当時の官僚のスケールの大きさには驚きます。
講師は多彩で、反農水の論客も多数いました。
試験場がない、農業経営者を育てる学校ですが卒業生の
90%は農業に従事している摩訶不思議な校風。
全寮制です。
当時の反農政の論客、「西丸晨也」「むのたけじ」「守田志郎」
なども特別講師で講義しました。
社会学は我が恩師「内山政照」先生。
テキストは「社会学通論」ガルブレイスの「新しい産業国家」
でレジメを学生が作って講義。
先生が補足、「農村調査」も実践授業でした。
朝6時起床して富士山に向かって体操。
時は1970年ですから、騒然とした時代でした。
質の高い学生生活で、私は夜テレビを見ることは全くないほど
何かに夢中になっていた学生生活でした。
農民文学の講師は「国分一太郎」「真壁仁」でした。
キラ星のごとくでした。
そんな学校が筑波に移転になります。
「創立40周年の集い」に上京しました。
早朝のほくほく線「くびき駅」は寒い。
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京王線「聖蹟桜ヶ丘」多摩市はもうすっかり春でした。
校舎に咲く梅の花。
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卒業生は農業のプロです。
農産物を通して多摩市民との交流が盛んでした。
今日も学生は記念の直売市を行いました。最後の市です。
私はお餅とお味噌を販売して同窓会に売上げを寄付しました。
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コメント(2)

こんにちは。

>京王線「聖蹟桜ヶ丘」多摩市はもうすっかり春でした。
駅名がとても綺麗ですね。
ぽかぽかとした日差しが感じられて、春が待ち遠しくなりますね。

「聖蹟桜ヶ丘]
チカさん、ほんとに素敵な駅名です。
聖蹟記念館が連行寺にあることから付けられた駅名です。

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このページは、が2008年3月 2日 06:01に書いたブログ記事です。

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