ニッポン放送に出演?営業と読書の日になった!

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4:00起床、味噌詰めして餅の準備。デスクワーク。
早朝6:12 「くびき駅」を出発。東京に8:40着。
有楽町で会いましょう!ビッグカメラ20061222-bigkamera.jpg
K商事の企画でニッポン放送に出演?と言っても作業用つなぎに泥付き長靴、篭手をつけ、JAの帽子を被っての「ハロークッキング」のラジオ生放送を応援と言う次第でした。ところがテーリ伊藤さんと林家太平さんのトーク番組の時には一緒に稲穂を持ってスタジオ入り。応援しましたよ!
イヤー楽しかったです。大好きなんだ!テリーさんが。
20061222-nipponhousou.jpg
大いに久比岐もちを宣伝したのは良かったのですが効果覿面過ぎてしまって注文殺到です。感謝!
夜中に帰ったら皆、疲労困梅していました。
注文の多さに体が弱った年の暮れ!今が限界かな。
◎乃愛ちゃんのクリスマスプレゼントが届きました。
やさしいクッキングツールの子供クッキングセットです。
○乗り物は読書の時間
「憲法九条を世界遺産に」太田光・中沢新一
「散るぞ悲しき」硫黄島総指揮官・栗林忠道
梯久美子・・・・・二冊読む。感動しました。
山本五十六、栗林中将・・合理性と抜群の戦略家。
当時として真にリーダーシップに足る先見性ある人物だったし、ほんとの偉人と言える。日本の誇りだと思う。
しかし当時は誰も彼らの意見に耳貸さず軍部・日本は盲進しました。
お先棒をかついだのはマスコミだったとはこれ如何に。
これには今も昔も変わらず。
A級戦犯の東条英機は軍人でありながらピストル自殺まで失敗という漫画チックなリーダーが首相の任に就いたのだから・・・。
お笑いの世界です。
石原完爾が言ったというTごときは二流の軍人の話は本当だったのでしょう。
司馬遼太郎がライフワークのいつから日本は可笑しくなったのか。日本海海戦の英雄東郷元帥はまだまだ冷静に日本の実力を見てました。
その後、日本は傲慢と狂信が先導して破滅の道を歩んだのです。新潟県の新発田と高田師団は皆激戦地に赴きました。
子供の頃から父や父の戦友から聞いた戦争話はどれも悲惨なものでした。上部が如何にいい加減かは痛いほど聞きました。
当時ホントニ悪い上官だった人は戦友会にも来ない、来れないそうです。そんな生き証人の父も88歳です。
東京駅、越後湯沢、ほくほく線・・・一気に読みました。

コメント(1)

日本放送看板の前の写真とJCVスタジオでの写真まるで違いますね。
かたやラジオ、かたやテレビの違いですか?
それにしても、とても精力的に活動していますね。
早朝の味噌詰めから東京とんぼ返り!
いつブログを書く暇があるのですか?
俺なら、電車の中は睡眠時間、まさ爺は読書の時間それも6時間余りで2冊も読むとは、俺にはスーパーマンとしか思えません。すごい!
ご自愛下さい!

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このページは、が2006年12月21日 01:51に書いたブログ記事です。

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