恩師の壇参り

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私が通った小学校は全校生徒180人規模の「大坂井小学校」だった。今はもうない。グランドにあった桜の木も切り倒されて既になく、りっぱな銅像の「二宮金次郎」と坂口謹一郎博士揮毫の「大坂井小学校跡」の石碑が昔を思い出させる。
U先生からは小1から2年まで教わった。思い出深い先生だった。人情細やかな厳しい先生だった。
訃報を新聞で知りやはりお元気な内に同級会を・・・と思い悔やまれた。
昭和24年生まれの私達の小学校時代は、学校給食が新たに開始され敗戦のショックから立ち直り、戦後の民主化が花盛りで、民主化=近代化の時代だった。
享年80歳の先生は母と同い年だった事に気づいた。
壺井栄の「二十四の瞳」そのもの、地域と学校が一つになってた時代。
元教諭の旦那さんと懐かしく語り合った。
心からご冥福を祈ります。
◇今日は何故か疲れました。
◇父が愛里ママに言った。「もうデイサービスは行かない。」
「行かなきゃ足が弱るし、お風呂も入れない。寝たきりになると大変だから・・」と叱ったら泣き出したとの事。
この涙は寂しさなんだろうか。悔しさなんだろうか。
あしたから12月か。

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お久しぶりです。
やっと怒涛の1週間が過ぎ、一息ついているところです。
ブログ、まとめ読みさせて頂いています。
まさ爺さまにギターとチェンバロのコンサートに
来て頂けなかったのは本当に残念。
満席、を越して超満席でした。
ありがたいことです。
「今度は別の場所でもやりたいね」
とギターの山岸さんと話しています。
いい所があったら、教えて下さい♪
私が小1から高3までピアノを習った先生は
難病で60代で亡くなりました。
その先生がいらっしゃらなかったら、
ピアノを続けていたかどうかわかりません。
それほど影響を受けた先生です。
もっと色々教わりたかった。
特に私がピアノを教えるようになってから益々その思いが強まりました。

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このページは、が2006年11月30日 05:29に書いたブログ記事です。

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